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いこいの村岩手様の2階フロアの一角をお借りしております佐々木長生整体院の院長の佐々木と申します。

私が今現在お借りしているいこいの村岩手様の2階フロアの一角に看板を出して営業を開始したのが2011年3月11日の午後1時30分でした。そのわずか1時間16分後に日本全土を震撼させた東日本大震災に見舞われ、オープンしたその日が営業停止の日でもありました。

震災から4日後、いこいの村岩手様からご連絡を頂き、館内の点検作業が終わったので営業を再開しても良いとのことでした。が、待てど暮らせど誰も来ません。当たり前です。震災直後に外を出歩く方はほとんどいませんでした。私は、誰も来ない状況でも毎日定時に行って館内におりました。

それから数週間が経過したある日、一人の男性が初めて私の元を訪れました。聞くところによると、沿岸の復興作業で約2週間泊まり込みで作業を昼夜問わず行っていたそうでした。疲労とストレス、身体の痛みで思うように動けなくなり、来たということでした。

やっと仕事をさせてもらえる嬉しさが私を一部誤った方向へ導いてしまいました。無休で仕事を続けてしまい、営業開始から半年が経過したある日、私自身の右目が開けなくなり、激しい頭痛と吐き気とめまいに襲われてしまいました。病院での検査結果はストレスと過労でした。

顔に注射を3本、薬の服用、点滴と、まるで重病患者のようになりながら横たわったベッドの上で天井を見つめながらふと考えました。「自分はいったい何を焦っているんだろう?焦ってもなるようにしかならないんだ。」

この時、現在の火曜日定休を決めました。身体の痛みで通院する病院や治療院はなぜか水曜日定休もしくは水曜日の午後休診が多いと感じ、それで困る人達がいるかもしれないと考え、火曜日に定休日を設けました。

開業当初、せっかく私のところにご縁があって来てくれた患者様、お客様に対して手を抜くのは失礼だと思い、常に精一杯施術に取り組んで参りました。今現在もそれは変わりません。

どこに行って治療や施術を繰り返してもなかなか良くならない、電気治療や痛み止め、注射や湿布などに頼る現在の対症療法はなんの解決にもならないと私は思っています。以前は私も患者側の人間で、ひとつの痛みに対して数十カ所を回って回って治りませんでした。そんな時、現在の私の恩師である先生に出会い、大げさに聞こえるかもしれませんが大きく運命が変わったと思っています。

人間の優れた感性を持っている手には大きな可能性が秘められています。機械や薬には真似することのできない素晴らしい力が備わっています。そんな手技療法の原点を忘れない療法家でありたいと思っております。

痛みや辛さの苦痛に顔を歪めながら毎日を過ごすより、どうせ同じ時間を過ごすのであれば笑いながら過ごして欲しい、そう願って考えた言葉が「痛みのない 明日を迎える そのために」という当院の開業当初からの変わらないキャッチフレーズとなっています。

患者様が、痛みのない未来を迎える為に私ができること、それを考え続けることを忘れずに、今後も皆様に接して行きたいと思います。

現在では年間およそ2800名、月間約250名の患者様を私ひとりで、患者様ひとりあたり30分から1時間前後の施術を行なわせて頂いております。おそらくこの人数は私がひとりでできる限界の人数ではないかと思います。その為、なかなかご予約をとれない患者様もおられます。本当に申し訳ございません。なるべくお時間が空いていればご予約を入れさせて頂きますので、お電話かインターネットにて事前にご予約をよろしくお願い致します。

佐々木 俊一(ささき しゅんいち)

昭和50年5月30日生まれ

NPO法人日本手技療法協会会員

NPO法人日本手技療法協会・整体師会実技指導員

​トップセラピストカレッジパートナースクール

トップセラピストカレッジ岩手八幡平校責任者

東洋整体認定整体師

東洋整体専門学院認定整体師

​長生療術認定療術師(整体師)

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